僕の蹉跌について

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自分における飲み会の意義ついて

第一声として申し上げたいのが、僕はそもそもお酒が好きではない、むしろ嫌いだ、めっぽう弱いので。

 

体質として、すぐに全身真っ赤になり、次第に目眩や吐き気に襲われ、挙げ句の果てには寝る。そして罵倒されるのだ。

 

「飲み会の席で眠るのはないでしょ」

 

目眩や吐き気を耐え忍んで、惜しくも寝てしまった後に言われるこの言霊は、皆さんの想像を軽く超えるぐらいには精神をガタつかせる。

毎回どうしようもない失念を抱えながら帰路に着いているらしい。

飲み会や酒の席中心で回っている“大人の社会構成”に僕はあまりにも適していないと感じて帰って絶望する。

 

そんな僕が何を持って重い腰を上げ飲み会に参加するのか。

無論、コミュニティ重視では無い。僕は自分のことが分かってくれる人間だけと接していればいいと言う精神性の持ち主なので。

 

それは飲み会の席でだけ恥じらいもなく本質を語り合うことが許されるからだ。

 

自分自身いつでも自分や相手の価値観、考え方をしたいのだが、世の中そんなに上手くいかない。

シラフでこの話を展開した末路には

「その話つまらない」

「いや、そんな話よく真面目にできるね」

このどちらかのカウンターを食らう。

そして死ぬ、こちらはノーガードなので。

 

まあそんな話を、奇しくも嫌いなお酒の空間でのみ繰り広げることが許される訳だが、そういえばこの間こんな話が上がった。

 

 



近年の情報や工業の技術の発展による連絡手段の簡素化によって、

”誰かと会う機会そのものの意義“

までもが簡素化されちゃってるんじゃないかなって話。

この集まりはLINEの一言で全員が集まったわけだけど
これが十数年前だと全員に電話をかける、全員の予定を合わせるっていう何かしらの労力が必要であって、口を悪くいえば面倒臭さがあって。その労力も伴って皆が集まるっていうことはもっと意義があって特別なものだったんじゃないかなと。

今ではそこの連絡手段の容易さゆえに折角の機会の意義すら希薄してんのかなって話。

 

 

 

だからなんだよって話なんですけどね。

 

まあ自分が伝えたかったのはこんな捻くれた自分を飲み会に誘ってくれる先輩や同期、後輩に感謝してるってこと、酒やLINEのくだりは余談