僕の蹉跌について

音楽、本、映画、お笑いとかが好きな大学生 共感してもらえたら嬉しいです

同世代監督が描く『少女邂逅』を見て。

咳き込んで胸を叩いた途端、あまりに大きな音が身体の中で反響して僕は実体まで空っぽなんだなと、そんなことばかり考えた1日だった。

 

話は変わるが先日、若干24歳の枝優花監督の描く『少女邂逅』を観に渋谷まで足を運んだ。

 

電車を降り久々に赴いた渋谷は相変わらず肌に合わないと感じた。度がすぎるほどの人や人種の多さ、新歓期のサークル勧誘を彷彿とさせるティッシュ配り、様々なモノが入り混じった匂い,etc....

どこを取っても気に障ることばかりだった。

 

そんな憤懣を超えてまでも観たかった映画、それが『少女邂逅』だった。

 

公開してすでに4ヶ月近く時が経つ映画だが、僕がこの作品を見つけたのは公開して1ヶ月近く経ったときのことだった。

 

例のように僕は音楽に傾倒して生きている。(あくまで音楽以外の趣味が持てなかったというだけであるが) 影響を受ける情報源も音楽やそれに関連する事柄が一番多いだろう。そんな中で、人混みが好きで苦手な僕がライブに行くほど好きなバンド『羊文学』の曲がこの映画のスピンオフ作品のタイアップに決まったことから初めてこの作品の存在を目の当たりにした。

 

僕の根幹にある考えだが、同じ芸術を好きな人は物の考え方や捉え方というものが近しいと感じる。そんな考えの元から、羊文学という芸術をタイアップとして使ったこの監督、そしてその作品には漠然とではあるがとても親近感を覚えた。

 

少女邂逅』を観て思ったことはまさにその通りだった。同世代だった彼女は僕が観てきたものと同じ世界観の作品観て育ち、そしてそれを自分で表現する側に回ったんだなと感じた。

表現する側に回ったと簡単に表現しているがこれは決して簡単なことではない。表現するというのは誰しもができることではない。少なからず僕には到底できないし、大多数がそんなものだと思う。だからこそ、このように僕たちが好きなモノを表現してくれる表現者は有難い。

 

この作品は僕の好きな“ある作品”へのオマージュとも取れるような演出が散りばめられていた。しかしそこには確かに僕らの世代に落とし込んだ枝優花監督のオリジナリティを感じた。

 

あまり深読みしすぎた感想というのは不恰好に思ってしまう性分なので、過剰な感想はここでは控えさせていただきたい、不本意にネタバレもしたくはないので。

 

敢えて言うとすれば、名前に引っ張られず男の人も是非見るべきだと感じた。決して性別の隔たりがある作品ではないので。僕が観に行った時も8割ほど女性だった。

時間が経って映像が販売されてネタバレも気にしなくなった頃にもう一度この作品について書きたいと思う。大学を卒業した僕が仕事に追われず元気であれば。

とりあえず多くの人に映画館で観ていただきたい。そしてそれを共有したい。そう思えた作品だった。