僕の蹉跌について

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距離感

この年齢になっても“友人とは何だろう“と落ち目のない単調な題材に夜な夜な頭を働かせる時がある。僕の場合大概は、知人と接する内にその中で僕の思考と近しいと感じた人と距離間が縮まっていき友人になるという過程を辿ることが多いのだが、極たまに例外がある。

 

育ちも違ければ、性格も違い、プライベートでそこまで遊んだことがあるわけでもない、なのに友人である、或いは友達でありたいと思える人間がいることってないだろうか。

 

自分の場合、大学の学科の同期でありまたサークルの同期でもあった一人がその友人に当たる。

彼とは所属している団体こそ一緒だが、別に講義を一緒に受けるだのサークルで行動を共にするだの、そもそも一緒に遊ぶような仲ではない。(これは前述の通り性格や趣味の不一致に起因する)

下手しい4年の間に半年間話をしないような時期もあった。(単純に僕がサークルを辞めかけたため会わなくなった)

しかしながら彼は僕が大学2年次の終わりに気が滅入ってサークルを辞めようとした時、誰よりも止めてくれたし、誰よりも泣いてくれたのである。そして恥ずかしい話ではあるが、僕のことを本当の友人だと思っていると打ち明けてくれた。

恐らくこの出来事は一生忘れることはできないだろう、今後関係が続かなかったとしてもだ。

 

結果頭を巡らせたつもりではあるが、友人とは何かという問いには辿りつかなかった。ただ自分と似たような人間でなくても友人と思える人間がいるのは事実であるし、その根拠というものは分からない。でも友人っていうものはそういうことでいいんじゃないかなと僕は感じた。

お互いが干渉もせず尊重しあえる距離感ってことなのだろうか。